2016/06/13

境界線を過ぎるとどうでもよくなってしまう ~ハッピー編~








学校や職場、なにかの教室、集会、人が複数集まるところに必ず『問題のある人』はいるものです。

人が集まると『問題のある人』が新たに生まれてくるわけではなく、はじめから、最初の最初からそのグループの中に『問題のある人』は紛れ込んでいて、他者との摩擦によって徐々に存在が明るみになってくるパターンがほとんどではないかと思います。

さらに、ほんのちょっぴりバイ菌のついた布巾をひと晩放置しておくと、翌朝にはバイ菌が何億と繁殖してプーンッとにおうみたいに、『問題のある人』の問題の因子をそのままにしておくと、問題がどんどん肥大化して、『問題のある人』は本来一人だけだったはずなのに、それを取り巻く周りの人たちの問題(欠点)まで浮き彫りになり、その人間組織全体がにおうものに思えてきてしまう、なんてこともあるのではないでしょうか。

『問題がある』と気づいた時点で早急に対処がなされるべきですが、その問題が『人』である以上、バイ菌を洗剤でザーッと洗い流すように解決できるはずもなく、その組織から都合良く追っ払うなんてことはできない場合がほとんどでしょう。

複雑な組織であればあるほど。






どうすればいいのか?

思いつくかぎりの手を使ってもその問題を追っ払えなかったとき、最終策として、良識のある人なら自らがその組織から立ち去ろうとするにちがいありません(良識のない人はどうするか?それは日々のニュースを見れば明らかです)。

「あれだけ会社に訴えたのにあいつを辞めさせるつもりがないなら、俺のほうからこんな会社辞めてやる!!」

辞める決意をし、実行した人は真の意味で潔い人だと私は思います。

きっとそれ以前にも似た状況で苦労した経験があり、そこから学び、ムダなあがきをせず、ムダなストレスを受けず、とにかく自分の身を守ろうとする人です。冷静沈着。

なぜそこまで褒めちぎるのかというと、私にはそれができないからです。

私は『問題のある人』を自分の領域から完全に追っ払ってしまうか、『問題のない人』に変えさせなければ気が済みません。

『問題のある人』のために、なぜ私が追い込まれ、なぜ私のほうから退かなければならないんだ!

ふざけんじゃねぇ!!

こうして書いてみるととてもかっこいいことを言っているように見えるかもしれませんが、この考え方、やり方、意気込み、はっきり言ってだめです。

絶対にオススメしません。危険です。

ただ唯一私には、このリアル・ワールドをその『問題のある人』=周囲から頭がおかしいと思われてる人物よりもおかしく捉えているという妙な(どうでもいい)自負があります。頭のおかしい人よりおかしさの点では私のほうが一枚上手だという自信があります。そんなものないほうが生きやすいと人は言うかもしれませんが、いいえ、いいんです。そもそもこの現実世界がおかしいのだから。おかしなものにまじめに取り組んだって息苦しいだけです。このおかしな世界を生き抜くためにはより強度のおかしさが必要であり、また自分の中のおかしさは日々さまざまな経験を通じて強化されていくべきだとさえ思います。

ただ、そのおかしさの境界線を過ぎると、もう自分が、世界が、次の呼吸の一回一回がどうでもよくなってきてしまいます。

私は明日にでも発狂するのかもしれません。

発狂すればハッピー?

そんなわけもなく、ひょっとしたら私はもう発狂していて(ああ、あのときだ、頭の中で神経がプツンと漫画みたいに音を立てたあの瞬間だ。周りの人は面と向かって言わないけど。だいいち鼻毛が出ていたってなにも言わない連中だもの)、すでに自分自身の狂気の中でハッピーなのかもしれない、なんておびえながら、ひたすら地味に無様に笑ったり泣いたりしながら、どこかのオヤジが吐いた痰(タン)みたいにこの現実世界にペッタリ張りついて生きていくのです。






『問題のある人』の例:バスターミナルでクラクションを鳴らしまくるバス運転手

バスの運転席から勢いよく降りてきて、前の運転手に怒鳴り散らしている。














(この怪物は理想の私)